ぽよの備忘録

本の紹介など雑記帳

自省録 第一巻 ①~④

 

1.祖父ウェールズからは、清廉と温和(を教えられた)。

 祖父ウェールズ(ウェルス2世)は、マルクスの父方の祖父で歴代皇帝の側近を務めた。マルクスが三歳の頃に父が亡くなり、その後祖父に養子縁組された。

父方の一族であるウェルス家は属州ヒスパニア・バエティカコルドバに所領を持ち、西暦1世紀頃からローマ中央でも知られた存在にまで台頭し始めた。曽祖父アンニウス・ウェルス1世元老院議員として議席を与えられ、祖父のウェルス2世の代で貴族に列された

引用元:Wikipedia

()は原文に欠如しており「を教えられた」、「を学んだ」、「の模範を示された」などの解釈をすべきである。
自省録の第一巻は周囲の人々への感謝の言葉が書かれている。最初の一文。

 

2.父に関して伝え聞いたところと私の記憶からは、慎ましさと雄々しさ。

アウレリウスの父はマルクス・アンニウス・ウェールス(ウェルス3世)という。

父であるウェルス3世も元老院法務官などの要職を歴任していたが、アウレリウスが3歳の時に病没した

ヴェルス(III)はおそらく124年に彼の礼拝中に亡くなった。マーカスアウレリウスがたった3歳の時。マルクス・アウレリウスは彼のことをほとんど知ることができなかったが、彼の瞑想の中で、父親の記憶と男の死後の評判から「謙虚さと男らしさ」を学んだと書いている 

 

3.母からは、神を畏れること、および惜しみなく与えること。悪事をせぬのみか、これを心に思うさえ控えること。また金持ちの暮らしとは遠くかけ離れた簡素な生活をすること。 

 アウレリウスの母、ドミティア・ルキッラは有力貴族の娘で資産家だったそう。自省録で度々神を敬うよう記しているのはここから来ているのか。

彼女は後に煉瓦生産の工房など、両親の財産を相続してウェルス家を更に富ませた。母ドミティアは再婚しなかったが、当時の貴族階級にとっての常として子供の養育は家庭教師や侍従達に任せていた。一方で貴族としての優雅な生活で堕落しないように「宗教的な敬虔さ」と「粗食」を躾として教えられたという

手紙の中で、マーカス・アウレリウスは頻繁にそして愛情を込めて彼女に言及している。彼は、「彼女は若くして死ぬ運命にあったが、それでも彼女は最後の年を私と過ごした」と感謝した。

 

4.曾祖父からは、公立学校に通わずすんだこと、自宅で良い教師についたこと、このようなことにこそ大いに金を使うべきであることを知ったこと。 

 アウレリウスは父の死後、父方の祖父に引き取られますが母方の曾祖父といわれるルキウス・カティリウス・セウェルスが養育を手伝った。名家の子息は風儀の悪い公立学校に通うのではなく、家庭教師につくのが常だったらしい。7歳で教育を始められ、家庭教師に哲学や自省録の文体へ影響を与えることになる修辞法を習った。

古代ローマの教育事情|西洋教育史の原点

教育は基本、勉強は父親が教えるか、家庭教師の奴隷(ギリシア人)を雇うかでした。
親に学がなければ教育など受けられませんし、家庭教師を雇うにしてもある程度の財力が必要でした。そしてほとんどの一般家庭では、子供には教育を受けさせる余裕があるなら、仕事を教え労働力として使うことを優先していました。

教育科目は?

古代ローマでの基本的な教育内容はラテン語の読み書き、国語、数学、歴史などです。
発展として修辞学(スピーチ)、法学、体育、格闘技、乗馬、武器の使用法などを学びます。後半ではギリシア語、ギリシア文学、ギリシア哲学なども学びました。

引用元:古代ローマの教育事情|西洋教育史の原点